高校時代

 

私は高校の時、突然アメリカに行くことになった。あの時の衝撃は忘れられない。 しかし、わたしはそれをずっと忘れていた。今日、高校の時の卒業アルバムを見て、涙ぐんだ。

果たして彼らは今何処に?アメリカの高校生活は自由奔放であれほど開放的な状況は果たして長い歴史の中であったんだろうか?と思うくらい開放的だった。フロリダの温かい太陽に見守られて、僕は毎日大変だったが、とても充実していた。あんな生活は二度とないのか?それとも、まだあるのか?わたしは突然の急性ホームシックのような状況になってしまった。やはり高校‐大学と過ごしたアメリカは僕の心の故郷と言っても良い。 ようやくなぜ日本のサラリーマンとしてうまくいかなかったのかがわかった。 日本のサラリーマンというのは心の力を信じていない。少なくとも、あのアメリカの高校時代の僕、そして周りのみんなは心の可能性というものを信じきっていた。無限に広がる可能性というのを皆信じていた。もう一回あそこからやり直したい。 もう一回無限の夢を見てみたい。何もかもが有限であるような日本では僕の精神は息づまってしまいそうだ。少なくとも、僕は高校時代は無限の夢を持つことが許されていたし、他の生徒の親や、学校の先生も無限の可能性を確信させてくれた。そして心の底から応援してくれた。

あんなに素晴らしいことがあるだろうか?長距離の陸上部の仲間だったどうしてもかなわなかった

ジャスティン、日本的なマスコミ的感覚からすると君はなかなかの美男子で良い男なんだろう。

でも、あの頃はそんなことは思っていなかったし、タダの友達だった。僕がいつも2番で、君はいつも一番だった。でも、いつか君は驚いていたね、僕が数学のクラスで非常に成績が良かった事を。Tim、君は成績が悪かったし、走るのもたいしたことはなかった。でも、君はリーダーみたいな言動をいつもとっていたっけな。君の家に行ったときはびっくりしたよ。なにしろ、キャンピングカーがマイホームだったからね。君が僕の家が立派だったのを見て、嫉妬して、僕のうちの郵便ポストを倒したのは知っているぞ。僕はちゃんともう一回土の中に埋めた。そしたら、もう一回やりに来やがった。でも、二度で諦めたようだな。全くお前は、しかし、君は成績が悪くて、軍隊に入るしかなさそうだと言っていたね。その後、どこかの国にでも派遣されたんだろうか?君にとっては、君のような田舎者にとってはさぞかし面白いことだろう。なにしろ、外国では、アメリカ人は優秀かどうか関係なく優秀と思われるようなところもあるからね(笑)、Tyler、君は後輩でなかなか面白い奴だった。ラストネームがヨーロッパ系の名前だったからアメリカ流に変えるよう に皆に言われていたな。そういえば、ジェイソン君、君とは一番親しくしていたな。君はお父さんがユダヤ人だったね。でも、君は普通の人として振舞っていた。完全なユダヤ人だったスクールバスに乗っていた彼(誰だっけ?)とは随分違った。その彼の場合は、毎朝、スクールバスの中で、ヘブライ語でおいのりをしていたので、かなり周りの人に偏屈に映ったようだ。彼はいじめっこながら気の弱い、背の低いもう一人の白人の金髪の生徒に殴られていたが、ある日、僕はそのユダヤ人の生徒の横に座っていたら、突然彼の眼がねを奴が放り投げた、それもスクールバスの外に。そして数日後に彼は反撃に出た。思いっきり殴ってたな。覚えてるよあの時のことは。ユダヤ人にも色々ある。ジェイソン君は、ユダヤ人でもごく普通のアメリカ人みたいだったが、なんだか、劣等感みたいのを持っていたね。なぜか、いつも孤独そうな顔をしていたね。なぜか君は僕に近づきたかったみたいだ。僕達は何回かテニスをやったが、君はへたくそで悔しがっていたね。 へたくそといえば、成績は学校2位だったが、スポーツはまるっきりダメな、ベトナム人のテリーシャプイ君がいたね。君は、変人だった。ハっきり言おう。しかし、君は恐らく今ごろどこかの学校の博士にでもなっているのかもしれない。君のおかあさんが作ってくれたベトナム流春巻きには味の素が恐ろしいほど多く入っていてびっくりしたよ、でも、あれはおいしかった。

アンドリュー君、君は、僕の最初の友達だった。なぜか君は日本という国にとても強い好奇心を抱いていた、ホントは何も知っちゃいないくせに。そういえば君の妹が言ったね、日本って、中国の首都でしょう!あれにはびっくりしたよ。でも、さすがアメリカだと思ったよ。でもね、君のコンピュータに対する情熱は並大抵のものではなかったね。君の家は貧乏だったから、良く家に来てパソコンで一緒に遊んだりしたよな。近くのプールにも良く行った。あの頃の僕には、アメリカ人とか日本人とかそういった区別は全くと言っていいほどなかった。ただの友達だった。 懐かしい日々をありがとう。フロリダの友達たちへ、君達のことは忘れない。